この世は不平等

そう口にする人をよく見かけるようになった。
特に脈絡もなく大胡田誠氏*1の話を思い出す。

先日読んだ本の中で、村上春樹が、「人生は基本的に不公平なものである。それは間違いのないところだ。しかし、たとえ不公平な場所にあっても、そこにある種の『公正さ』を希求することは可能であると思う。それには時間と手間がかかるかも知れない。あるいは、時間と手間をかけただけ無駄だったね、ということになるかもしれない。そのような『公正さ』に、あえて希求するだけの価値があるかどうかを決めるのは、もちろん個人の裁量である。」と書いているのを見つけた。
 私もこれには同感だ。視覚障害を持ちつつ弁護士をやっていると、膨大な活字の書面や資料を前にしたときなど、ああ自由にこれらを読めればなどともどかしい思いをすることもあるし、図表や写真が読めなくて深刻な不便を感じることもある。しかし、たまに、事件処理が終わった後など、依頼者から、「今回、先生のようにがんばっていらっしゃる方にお会いできて本当によかったです」などと言っていただくことがある。そんなときには、「そうですか、そう言っていただけると私もうれしいですよ。」などとクールに決めてはみるが、後で、「私の障害もまんざら捨てたものではないな」と、一人でにやにやしちゃうのである。私はこれからも、人生は不公平だと嘆くよりは、自分のできる限りのことをして、自分なりの「公正さ」を求め続けたいと思っている。

cf. http://www.dpi-japan.org/friend/restrict/essay/essay0101.html

*1:2006年司法試験に合格し、全盲で弁護士になった方